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Tue2007.08.21

私とhide。

もうすぐだね。


10周年。


1997年の9月22日、ワタクシの敬愛するX JAPANは解散しました。


理由は、ヴォーカルのTOSHIが音楽性の違いより脱退したいとの申し出をしたこと。


当時、私は小学6年生でした。

Mステなどはたまに見ていたし、紅白はちゃんと見ていたのでXの存在は知っていました。

「なんか怖くて派手なバンドがいるなぁ・・・」

くらいにしか思ってなかったけど。
非リアル世代でこういう人おおいよね。


そんなX JAPANのギターがhideちゃんだったってこと、当時は知ってたのか今でもわかりません。


覚えてない・・・。
たぶんよくわかってなかったと思う。


そして、それから約半年後の1998年5月2日午前8時52分、hideちゃんは亡くなってしまいました。


私は中学一年生でした。


その日はゴールデンウィークで一日中家に居り、暇だったのでテレビをつけていると

「元X JAPANのhideこと松本秀人さんが救急車で病院に運ばれ、先ほど死亡が確認されました」

とのニュースが。

どのチャンネルを見ても流れていました。


そして、病院前の中継やhideちゃんのライブ映像などがひっきりなしに流れていました。


「あのXの人かなぁ・・・・?こんな人居たっけ?にしても凄いニュースになってるなぁ・・・人気あったんだな・・・」


というのが素直な感想。

でも、ニュースは食い入るように見ていたのを覚えています。


部屋のドアノブにかけられたロープによる窒息死。

当初は、自殺と報道されていました。


「ミュージシャンだから」


自殺したっていう報道に何の疑問も抱かなかった。


多いんだよねこういうの、と母親は私に言った。


5月7日、東京の築地本願寺でhideちゃんのお葬式が行われ、ファン5万人が殺到した。

あの美空ひばりの4万2千人を凌ぐhideちゃんのファンたち。

その日の気温は5月だというのに30℃をこえ、暑さと疲労のために献花の途中で倒れてしまうファンも多かったらしい。


その様子もテレビで見ていた気がする。


それから2年が経ち、音楽に興味を持つようになった。

激しいロックの世界を知った。

音だけでなく、ヴィジュアルも含めて人を感動させるバンドがいることを知った。



X JAPANの音楽に触れる日が来るのも時間の問題だった。



そこでやっと、hideという人がX JAPANのギタリストで、2年前に亡くなってニュースになっていた人だと理解した気がする。


そこからhideちゃんのCDを買いあさり、雑誌を読みあさり、hideという人物についてたくさん知った。

生前どんなにファンを大切にしていたかということや、Xが解散してソロ活動も順調に滑り出し、インタビューで98年の予定を長々と語り、

「アルバムも出すし、ツアーも年末まで飽きるほどやる。学生のみんなはお金ないと思うから、いっぱいバイトして、お金貯めて、楽しみに待っててね」

と言っていたこと。


自分が少年時代好きだったバンドが解散したときに、物凄く裏切られた気がすると言ってたhideちゃん。
自分が音楽やる立場になって、そんな思いだけは絶対にさせたくないと繰り返していたhideちゃん。

Xの解散発表では

「待たすだけ待たしたファンの人たちには、本当に申し訳ないと思ってます。今までワガママ三昧やってきたけど、最後のワガママ許してください。さようなら。そしてありがとう。」

最後の紅白歌合戦の出場では

「私はバンドはどこからが始まりで、どこで終わるとかそういうもんは無いと思ってます」

とファンを気遣うコメントをしていたhideちゃん。


解散時、自分のオフィシャルホームページで

『ひとつ言っておきたいのは、俺達は何かを見失ったりした訳でも、してる訳でもない。
生み出す力や跳び越えて行く気力やスピードを失った訳でもない。
 
大将(※YOSHIKI)が「人生でした、、。」と言った、、。そう、その通りだ。
俺にとっても、関わった人みんなにとってもそうだっただろう。
そして、人生は続くんだ。途絶えた訳じゃない。ベクトルがシンクロすれば、また突然、楽器持ってメロディー乗せればいい、、。成し得なかった事、、、たくさんある、、
また、そうなったら、TRYすりゃいい。いいかい?俺達は、まだ地に足つけて、同じ酸素吸ってるんだ。そして、それぞれ、相変わらず、人生やってる。、、、どんな事だって起こりえるし、どんな事も起こらない、かもしれない。でも俺は、なんだって起こりえる方にノルゼ、、。今までだって、確証じみた事は誰も言ってくれなかったんだ。せいぜいバーゲン予言書とゴシップ記事位だろ?
 
でも、田舎の無口なデブガキだった俺が今は人前で口パクパクやってるって事が俺にとっては確証だ。なーんだって、起こりえるんだ、、、。俺は今なお、ドキドキしてるぜ。
どんなドキドキが明日っから、あるんだ?、、ってな感じで。じゃなかったら、昨日までの日記で終わっちまうからな。、、、、、THANX!そんでもって、HELLO!!これで、いくぜ。スピードつけてガンガンいくぜ。ノってけるヤツらだけ連れてくぜ。
97/09/21 07:23:04 hide』



と語っていたhideちゃん。


hideちゃんは、ギターのストラップをかけることでひどい肩こりに悩まされていた。
お母さんのお話によると、よくライブの合間にも肩を伸ばしたり、マッサージをしてもらっていたらしい。

あの日、首の痛みに耐え切れなくなり、部屋のドアノブにタオルを巻いてスポーツ選手がやるような牽引を試したんじゃないだろうか。


これは後に公式発表されたhideちゃんの死因です。


当初報道された「自殺」を信じる人は多いけれど、hideちゃんがどこまでも前向きに未来を見据えて動いていたことから、今では不幸な事故死ということになっています。

ファンを第一に考えていたhideちゃんが絶対にそんなことするわけないという声も届いています。


お母さんも

「向こう(L.A.)では夜お酒飲めないでしょ?だからあの子、日本に帰ってきてやっとホッとしたんでしょうね。だから酔いがすぐ回っちゃったのよ・・・首が絞まっていることに気付かないで、気持ちよくなっているうちに座り込んじゃったんでしょうね・・・」

と語っておられました。



hideちゃんはお空に行っちゃったけど、ファンのみんなの思いは今でも色褪せていないと思ってます。

死後9年以上も経つのに、今なお皆に愛され続けるhideちゃん・・・。

それは彼のつくる音楽やカリスマ性だけでなく、彼の優しい人柄によるところが大きいんだろうね。

デランジェのKyoちゃんとTETSUが

「周りの人間の中で、ビッグになっても最後まで変わらなかったのは松本だけだった」

と語ってました。


日テレの番組『@サプリ』の「週間男前ニュース」のコーナーでhideが紹介されました。
その中で、レポーターの東海林のり子さんのコメントがあったので紹介します。

『hideちゃんは、必ずファンレターは読みますと。
だからその中で、あのいろんなことを書いてくる子達に、あの返事を書いたりとかしてたんで、とてもね、ファン思いの人でしたよね。
そこがなんかこう表に見えない所、部分だったんですよ。
そのへんがとっても、その~あの~まあ、ギターキッズなんかには愛されたんじゃないですかね。』

『残念っていうことよりも、こんないいモノを残してくれたhideちゃんだから、いつまでも応援してあげよう。
空から見てるよっていう感じの人なんで。
それと、その5月2日にたくさんね、横須賀に集まってくれたファンの一人一人のね、あの気持ちを思うとね、ホントhideちゃんはね、いつもきっと天国からファンを見てますから、すごい喜んでると思うし。』


東海林さんは、hideのことを自分の息子のようにかわいがっていたそうです。
1998月1月、テレビ朝日の番組で東海林さんがhideにインタビューしたのですが、その時、カメラが回っていないところで、東海林さんはhideにお年玉をあげたそうです。
東海林さんのhideに対する気持ちが伝わってきますよね。
ちなみにその番組は私も見ました。



今日もXの、そしてhideちゃんの曲を聴きます。

また卒業までに必ず横須賀に行きます。

そのときはまた一緒にお話してね、hideちゃん。


アディオ~ス!!!

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